たとえば、同窓会などで昔の友達と話していると、同じ時間に同じ場所にいて同じ経験をしているはずなのに、お互いの記憶が違っていることがあります。それでもお互いに自分の記憶が正しいと信じているので、相手が「記憶違い」をしているのだと思ってしまいます。
ところが人の記憶というのはかなりいい加減で、極端にデフォルメされていたり、時にはなかったこともあったように記憶している、ということも少なくありません。お互いが共に「記憶違い」しているかもしれないのです。
故意にウソをついているわけではないのに、時々「言った」「言わない」でもめるたり、記憶の曖昧な証言者のせいで冤罪が発生するのも、すべて人の記憶の「書き換え」が原因で起こるのです。
なぜ人はこのように「記憶」を書き換えてしまうのでしょうか?いろいろな理由が考えられますが、中でもよく言われているのが「認知的不協和の解消」によるものです。「認知的不協和」とは何か?これを説明するときによく引用されるのが「酸っぱいブドウ」というイソップ童話です。